いてくれるだけで
- 智子先生のブログ
いきものがかりの、水野良樹さんは、新聞に連載エッセイを書いている。
水野さんは、自分で歌うだけでなく、作詞も作曲もして、他のミュージシャンにも楽曲を提供している。
今をときめく大活躍をしている。
その水野さんが新聞で連載エッセイを書いているけど、う~ん・・・素晴らしい。!!!
昨日の記事も良かったです。
またまた、かいつまんで書いてみます。
犬を飼っている。
締め切りに追われて夜遅くまで起きていると、愛犬が「ほら、なでろ!」とばかりに、仰向けになって腹をこちらにさしだす。
ワシャワシャとなでてやると、気持ちよさそうに眠ったような顔をする。
それを愛おしく思い、かえって自分が癒やされているのに気づく。
複雑な人間社会ですべてを許し、存在そのものを肯定することは、社会のしがらみの中でしか生きられない人間にとって、深い愛や覚悟を試されることで、簡単ではない。
デビューして、活動が広がる時期。活動を助けてくれる関係者が増えていく。
そんなとき、「もし、自分が良い曲を書けなければ、この人たちは去って行くのか」と、不安に駆られたことがある。
プロだから当然で能力に惹かれて人が集まり、人間関係ができる。それは職業人として向き合うべき現実でもあったが、そんな頃、
実家の両親に助けられた。
彼らは「寝ているか?」「食えているいるか?」と言う2点に集約される質問しかしない。
要は、自分が良い歌が書けなくても、自分が生きていることを許しているわけで、そんな大げさなとは思うかもしれないが、これは音楽を仕事とする人生の中では支えになった。
毎日、テレビの中で誰かが謝罪している。
仮に自分が過ちを犯してもこの犬は帰宅すれば変わらず尾を振り、自分を出迎えてくれるだろう。
理屈を外して受け入れてくれる存在はやはり尊い。そう思っていると、犬の後ろから息子も笑顔で駆けてきた。
ああ、彼もだ。これが家族か。そう気づいて彼らに笑い返した。
最初の文章をかいつまんで書きましたが、途中の「複雑な~」からは原文どおりに書きました。
人の価値には3つある。と言われています。
①having ②doing ③being
①のhaving は、その人の持っているものによる価値。
大金持ちであったり、大きな屋敷や高価な車を持っていたり、社会的な地位を持っていたり・・・
②のdoing は、その人の行為による価値。
ラグビーの花形選手であったり、よく勉強して成績優秀であったり、親の言うことをよく聞いたり・・・
③のbeing は、その人の存在そのもの。何の条件も求められていない。
人はhaving や、doing による価値ばかり求められ、そこばかり賞賛され続けると、自分の存在そのものが不安になってくる。
ありのままの自分ではダメなのか!?と思うようになる。
デビュー間もない頃の水野さんがまさにそうですね。
そんなとき、ご両親であったり、わんちゃんであったり、息子さんであったり、家族であったり・・・
は、水野さんの持っているもの、人気だったり、創造するもの・・・等には関係ない。
水野さんの存在そのものを愛している訳です。
ほら、おかあさんが、子供に、「おかあさんは、あなたがいるだけで幸せなのよ!」と、毎日言い続けてあげると、子供は心の深いところで自分に自信がつき、心の基地がしっかり確立し、人生の多少の困難は乗り越えられる力がつくと言います。
勉強ができようができまいが、やんちゃ坊主であろうと素直な親の言うことをよく聞く子であろうと、あなたの存在そのものを肯定されるということは、最高の無条件のプラスのストロークでしたね!?
こんな時思い出すのが、いつも書いてるけど、マイケルジャクソン。
周りの親兄弟、友達、大好きな子供たちの親までが、マイケルが兆お金持ちであるだけですり寄っていって、たかって・・・
傷ついたマイケルは言いました。
「この人生で学んだことは、誰も信じない」(何度も書いてますが、バー様はそれほどショックでした。)
マイケルが天才でお金持ちでなかったら?ありのままのマイケルを愛する人たちはいなかったのか?そういうものを持っているとしても、ただのマイケルがいてくれさえすればうれしい!と言ってくれる人はいなかったのか???
最近。結婚をしたい人が、お相手にあれこれ条件を出しますが、本当にそれでいいの?
相手に色々求める人は、自分を振り返ってみて!
もし、自分が年をとって、きれいでなくなったり、病気をしたり、いろんなものを失ったとき、お相手はそんなあなたを好きでいてくれる人だろうか?
どんなときでもありのままのあなたを受け入れ、愛しててくれる人がいいよね。
そういうあなたは、お相手が、何らかの事情で貧乏になったり、健康でなくなったり、すべてを失ったとしたら、見限って捨てるの?(そんな人もいるよね)
「あなたがいてくれるだけで私は幸せ。」
そう言われたいし、そう言いたい。
また、信じられる人たちに囲まれて、生きていきたいものだと思ったのでした。