認知症とともに
- 智子先生のブログ
今朝の朝日新聞。
良かったです~~~。
認知症診療の第一人者で、ご自身も認知症になった、長谷川和夫先生の話です。
普通に暮らすにはそう支障はないが、もの忘れがひどい。
自分の中の「確かさ」があやふやになっている。
朝起きて少し時間がたつと、、今が昼か夕方かはっきりしなくなる。
認知症というのは決して固定した状態ではなく、認知症とそうではない状態は連続していて、いったりきたりだそうです。
近くの有料老人ホームに体験入居をしたら、
食事がおっくうなとき、職員が上手に気持ちをのせて、食堂に連れて行ってくれる。
お風呂も最高!髪の毛もゴシゴシ洗ってくれて、王侯貴族のような気持ちだったそうです。
キリスト教徒である長谷川先生は言う。
「認知症は、すべての人に訪れる死を前に、神が与えてくれた「恩寵」かもしれない。
自分には心臓病もあり、本当に死を考えたら、不安でいっぱいのはず。
神様は、その不安をやわらげるために私を認知症にしてくれているのでは?
ならば、神の手に任せよう!
いずれにしても生きているうちが花。
過去ではなく今を生きることが大切。
明日やることはちょっとでも今日手をつける。
そんな心がけで生きようと思っています。」
隣町に住む次女が、毎朝、電話で先生と話すのが日課。
「すごく幸せだ」と、毎日言われるそう。
認知症になって不安やいやな気持ちはもちろんあるだろうが、それでも幸せだという気持ちを忘れていない。
ほしがっていた時計を買ったことも忘れて、いつも初めて聞いたように喜んでおられるので、
ご家族も何回も一緒に喜んで笑っておられるとのこと。
う~~~~む、なんてすばらしい!
今まで認知症が怖くて、ぼけだしたら、どうしたものか・・・と悩んでいたけれど
そうとはかぎらないのね。
お写真で拝見すると、先生は、柔和な穏やかなお顔。
隣の奥様も、ニコニコして、お優しそうで、お幸せそう。
お二人は人徳もあられるからこそ、今があるのかもしれない。
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この記事を見たと言うことは、ここから何かを学びなさいと、神様に言われているのかも。
まだ来ぬ未来を憂えず、今ここを感謝して生きる!!
なったらなったとき。神の手に委ねる。神様の言うとおり。
これしかない!!
そう学んだのでした。