自分の宿題自分でとく
- 智子先生のブログ
子供は神様からの預かり物。
自分の子供であって、自分のものではない。
ご縁あって親子となったけど、魂は別物。
それぞれの業はそれぞれが背負うしかない。
縁が深いからこそ、親は子供に対して思い入れが強く、子供の宿命を自分と同化して感じる。責任さえ感じる。けど、
最終的には子供には子供の人生があり、人生の課題があり、その子の宿命は、親であってもそれは変えることはできないし、変わってやることはできない。
自分の宿命に納得済みで生まれてくるという説もある。
小さい頃は別として、成人してから、このままでは将来困ることになりはしないか?と、いう場面に出くわしたとき、親心で心配して、口を挟みたくなる。
宿命は変えられないけれど、運命は変えられる。っていいますものね。今だったら間に合う!と思うときがある。
何か手助けすることで、大難を中難に、中難を小難に、小難を無難に、変えることができるなら、できることをしてやりたいと思うのが親の常。
しかし、
親の力でそれを乗り越えたとしても、それは子供が自分の人生の宿題を解決したことにはならない。
自分の宿題、自分で解かなくちゃ。
また、人の人生に土足で踏み込んではいけない!とアドラーも言う。
子供が自力で困難を乗り越えることで、それを力に変えていける。(ゲームの経験値と同じ)
親としては、さらっとアドバイスしたり、手助けしたりするが、最終的にはそっと見守る。
親という字は、ほら、木の上に?立って心配しながら、そっと子を見守る・・・だったかな?と言うじゃありませんか。
子供は親のものではない!
私は子供が大好きで、幼い頃は、甘やかしすぎたり、口や手を出しすぎたりする傾向にあった。いわゆるスポイル。
子供にとっては煩わしい母親だったと思う。
成人してからも、今思えば、色々な手を尽くして、無意識ではあるけれど、子供との縁が切れないような裏工作をしてきた。笑
いまだに、子供達の人生に口を挟みたい気持ちがあるけれど、それはもうダメ!
静かに見守ろう。
もちろん、できることはするけど、望まれていないのに、こちらから手を出すのはやめよう。
もし、頼まれたなら、万難を排して全力を尽くす!
何のことやら、訳がわからないですね!
こうして書くことで、少しずつ自分の考えをまとめ、自分に言い聞かせているわけです。
ただ、もっと親しく話せる関係でありたかったな。こっちは遠慮してるものね。
そこらがまだまだだな~。